山へ行ってきました。
山へ行ってきました。
まず水源地に入り、そこから木道を通って山道へと入っていきます。 雪解け後はじめて行く水源地…、と楽しみにしていたのですが、 行ってみてビックリしてしまいました。
なんと、木道がすべて撤去されていたのです。 (※この木道は巨植物妖精譚のFig.1に詳しく描かれています)
とてもショックでした…。
私はこの木道を歩くのが大好きだったのですが、 なんと、今まであった木道のかわりに、手すりのついた道路のような、 たいそう立派なものが出来上がっていて、水源地に入るには、その 立派な道を歩くしか手段がなくなっていました。
「なにこれ!? まるで老人ホームの廊下みたい…。」と思ったのですが、 それしか道がないので、しかたなくそこを歩いて進んでいきました。
流れる水の上を走っていた、今まであった木道の場所が、 手すりの向こうに見えたのですが、ほとんどの場所がいけなくなっています。 新しい立派な道は、水源地をかるく一周するだけのもので、 あちこちにあった木道は、すべて撤去されていました。
ここまで『人間の歩く道』を過剰に管理する必要があるのでしょうか。 古い木道は危ない、子供が落ちたり、水源地に入って植物を荒らす人がいる… という理由で、このような手すりをつけたのかもしれなのですが、 こんな整備されすぎた道では、水源地を歩く趣きがまったくありません。
あの木道のある景色は、もうないんだ…、と思うと、とても悲しい気持ちに なりました。
大雨がきたら半分沈んだりする木道、 落ちそうなので気をつけなければいけない箇所もある木道、 ときには穴があいていたりもする木道。 そんな『自然の道を歩く』という機会が、どんどん失われていってる、 と感じました。
これでは、人間のつくった『過剰に綺麗な道』しか歩いたことがないという 子供たちがどんどん増えていくのでは……。 山道を歩いたことがない、という子供ばかりになるのでは…。 そして、そんなでこぼこした、ばい菌や虫がいるかもしれない、 危ない山道など、歩くのはやめなさいと言う親ばかりになってしまうのでは…。
人間の野生的な感覚がどんどん奪われていってる、そして、 確実に、自然が破壊されていってる、と感じました。
私は、小さい子供の頃から、何度かこの水源地に行っているのですが、 ずっと昔からあった木道のある景色は永遠に失われてしまったんだ、と思うと、 本当に心から悲しくなりました。
水芭蕉が咲いたばかりの季節、木道を歩いていると、 昔ここには、たしかにアイヌの人々が住んでいたんだ、と感じられました。 この流れる水や、湿地や、雪解け後の枯れ草が風にさざめく音や、 山の色を見て、アイヌの人たちはいろんな神や精霊の存在を想像していたのだ、 と感じられる、木道がある水源地には、まだそんな景色が残っていたのです。