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イヴのミサ

  • 執筆者の写真: 大地 翠
    大地 翠
  • 2019年4月6日
  • 読了時間: 4分



クリスマスイブはカトリックのミサを体験してきました。


もちろん白い方です、黒ミサじゃありません。

東京に越してきた母の友人がカトリックなので

うちは浄土真宗なんですけど、

ミサは人間ならばだれでも入れるというので、

私もついていくことにしました。

イブはに三回おこなわれるので,

二回目の7時半に行こうということに。


大きな教会ではなく八角形の小さな家のような建物だったのですが

集まっている人数にビックリでした。

遅い時間だし、数人しかいないかと思ったら、

どんどん増えて最終的には詰めあって

前に臨時の丸椅子をずらっと並べて、

きちきちの状態で始めることになりました。


祭壇には赤ちゃんキリストとマリアさまとヨセフの

クレッシュが飾られています。





このクレッシュなんですが一見普通なんですけど、

よくよくみると、赤ちゃんの大きさが異様にでかく、

隣の羊の二倍くらいあります。で、でかすぎないか?!

というか、あきらかにマリア様の

体の半分以上の体積をしめているのですが?!

御子だという表現なのでしょうか?


見つめて悩んでいると、母が、聖歌隊にいる友人を指して

「セーターを後ろ前に着ている」というので、

まったく、もう、この母は、

そーゆーのは帰ってからこそっと教えてあげるべきでしょーと注意したら今度は

「あの油ぎったおぢさんは隣の牧師に似てる」とか

「聖歌隊のなかで綺麗な声の人が一人だけいるわね」とか

もううるさいので、始まるまで聖歌集を眺めてました。


ミサが始まり、祭壇には十人くらい教会側の人間がいましたが、

町の司会の人も合わせたら十五人くらいはいたかと思います。

聖歌隊の一曲を聞いたあとで、みんなで聖歌を歌うのですが、

私はカトリックの信者ではないので知っている曲は少なく、

もう口パクパクだったんですけど、

「しずけき」とか「きよしこのよる」とかなじみぶかい曲もあったり、

メロディだけ聞き覚えのある曲もあって、その箇所は楽しく歌えましたね。


ラテン言葉の「グロリア~デオデオ」の響きが本当に美しいと思いました。

何曲かラテン語と翻訳がのっているページがあって、

キリストはラテン語なのか(英語はクライスト)ーと改めて思ったり、

主語の形がすごくフランス語に似ていて、

なんとなく意味がわかる箇所を発見して嬉しくなったり、

(主語のjeやonなどフランス語と変わらないような箇所もありました)

仏教だと、こう、みんなそろって歌うってことがないので、とても新鮮でした。

気が付くと、セーターを後ろ前に着ている母の友人が聖歌隊を抜けて、

いつのまにか祭壇からみて正反対の席に移動していました。

「聖歌隊のことを忘れて彼氏のおぢさんの隣を動こうとしないらしい」と母。

「えっ…それは…でもまた最後とかにも合唱あるんじゃ…」

合唱はありましたが、最後まで母の友人は聖歌隊に戻りませんでした。

ミサもクライマックスになると明かりが消えて、

中央の通路から白い服に身をつつんだ人が数人、蝋燭に火を灯して回ります。

暗闇に蝋燭の灯りのみで、神父様が乳香(?)の容器を振って、

独特の香りの中全員で主をたたえる歌を熱唱します。

ここらへんがありがたさがピークに達するところです。

そして「キリストの体であるパンを皆に分け与える」という聖餅が

配られる儀式になりました。

この聖餅、映画でしか見たことがなかったのですが、

なんとなく うすい海老煎餅みたいでした。

神父さまが奇跡によって聖餅を作る、という儀式らしいのですが

何ヵ所かにわけて並んでひとりずつ聖餅を受けとるんですけど、

水をすくうような両手で受けとる人、

ひざまづいて口に入れてもらう人、など様々でしたね。

神父さまからの「クリスマスには贈り物をすることにこそ意味がある」

というお話があり、それでミサは終了。

帰りには子供たちが持った籠からお菓子を頂きました。

地下では紅茶とコーヒーのサービスがありましたが、

明日は出勤だし母とイブを過ごすので参加せずに帰ってきました。

(ちなみに母は友人は教会においてきました。)

宗派の違うところに参加するって、良いのかどうなのかわかりませんけど、

というか、かなりどうなんだろうって感じですけど、

皆で感動をわかちあうことって人にとって必要かなあと思います。

テレビで、黒鴨の超大群や砂漠でのらくだの群をみますが、

人間って街にまとまって暮らしてるわりに

都会はとくに集団の意思みたいなのが希薄になりがちです。

だから、人間は、こっちにいくぞ、みたいな全体の意思を確認するために、

大事なことなのかなあと痛感しました。

しかし、日頃罪深い暮らしのせいか、

教会で肩凝りのひどさが明るみにでましたぁ(~_~;)(~_~;)(~_~;)




(2010年12月26日ブログ記事より移行)

 
 
 

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